最近私の周りでは、すごく頑張っているのに『頑張っていない自分に腹が立つ!』と自分を責める人が多発しています。
そんな私もブログを更新しない日が続くと『あーーーもう何もかも捨てて息するのやめたい』と全てを投げ出したくなる時があります。
でもよく考えてみると『そもそも物理的に無理なこと』を頑張って処理しようとしてませんか?
私が思うに、頑張れない自分に腹を立てている人って
自分の努力ではどうにもならないことをやろうとする
自分の努力ではどうにもならないからやめよう!と決断することができない
やらねばならない事が多いのに、それを処理しきれずにパンク寸前
結果、簡単な判断もできなくなっている
という状況に陥っています。
でもそんな自分に厳しく生きる必要あります?
人に迷惑かけてないだけで十分まっとうに生きているじゃありませんか!
もっと楽~に生きても良くないですか?
ということで今回は頑張れない自分に腹を立ててる方々に送る『適当に生きることのススメ』について書いてみようと思います。
私自身、頑張れないと腹を立てている一人
『適当に生きることのススメ』なぁんて言っていますが、私自身頑張れない自分に腹をたてている一人です。
私はフルタイムで働き、会社が終わるとトレーニングへ通っています。
トレーニングを終え家に帰ると20時半頃。
そこから自分と旦那の食事の用意をします。
ちなみに私の食事と旦那の食事は違うものですので、旦那の食事の用意をしたあとに自分の食事の準備をします。
食べ終わった頃には22時前。
お皿の片付け、洗濯、旦那のお弁当の用意、自分の弁当の用意、次の日の夕飯の準備などをこなし24時前に終わらないようであれば、何かの準備を捨てます。
たまに23時にこれらの準備が終わったとしましょう。
ブログを更新しようとPCを開きますが、だらだらテレビを見てしまったり、眠くて寝てしまったりすると、時間を有効に使っていない自分に腹が立つのです。
なぜ私はきちんとできないのか。
Twitterではプロブロガーの方々が当たり前のようにすごいことをつぶやいていて、ブログを更新できなかった自分が本当に腹立たしく、なぜ頑張れないのかと思うのです。
『できなかったこと』ではなく『できたこと』に目を向ける
ある日私は時間があったにもかかわらず、ブログの更新ができませんでした。
だらだらテレビを見てブログという仕事ができなかった自分に腹を立て後悔しました。
『できなかったこと』に目を向けるとブログの更新ができなかったわけですが『できたこと』に目を向けると、仕事・トレーニング・旦那の世話・犬の世話・家事全般できたことになります。
すると、あれっ?けっこう『できたこと』が多くないか?と思うわけです。
そりゃぁ理想は『仕事・トレーニング・旦那の世話・犬の世話・家事全般・ブログ更新』を全て終わらせ24時までに就寝することです。
でも私要領悪い方の人間なんですよね。
そして自分にめちゃくちゃ甘い人間なんですよね。
そんな人間的に悪条件の中『できたこと』がこれだけ多かったということは、よくぞここまで頑張った!と褒めていい事なのではないかと考えるのです。
皆さんも『できなかったこと』に目を向け自分に腹を立てているかもしれませんが『できたこと』に目を向け自分を許してみてはどうでしょう。
普通の人間はだいたい自分に甘い。
私は普通の人間だもの自分に甘くて良くないか?
それが『適当』に生きる事なのではないか?と思うことにしています(笑)
そう思うと気持ちがちょっとだけ楽~になりませんか?
そもそも頑張ってどうにかなることなのか考える
先程もご紹介しましたが、私の毎日は仕事とトレーニング、家族の世話に家事全般です。
大体のルーティーンは決まっていて、次の日の食事の支度にどれくらいの時間がかかるかで私の就寝時間は左右されます。
もうこの時点でブログの更新をしなければという考えもないくらい、日々のルーティーンに追われています。
『ブログの更新を完了してから寝る』ことが私が自分を褒めてあげれる理想です。
ではブログの更新を終えて寝るのが午前3時だったとしましょう(たぶんこの時間でも終われない)
そして午前6時に起きる。つまり睡眠時間3時間。
そもそもこれを毎日続けることは物理的に可能なのでしょうか?
根性で頑張れたとして、そこに幸せはあるのでしょうか?
毎日が楽しい♥と生きていけるでしょうか?
無理じゃない?
仕事に支障がでるのでは?
トレーニングで力を発揮できないんじゃないか?
食事の支度が大変になるから外食ばかりになるのでは?
つまり私が理想としている『ブログの更新を完了してから寝る』を達成しても、本業の仕事に支障がでたり、毎日のトレーニングができなくては、もっと深いストレスが生じると思うのです。
それは本末転倒と言えます。
ブログの更新も仕事なので大切なことではあります。
でも私は今、人生楽しいと思って生きています。
私にとって『仕事、トレーニング、自分や家族の健康』は基盤であり、そこが安定しているからこそ人生が楽しくやる気みなぎる私がつくられるのです。
頑張れない自分に腹が立つ!と自分を責めてしまったときには次の点について客観的に見るようにしています。
- 理想としている自分とは、頑張ればなれる存在なのか。
- 頑張ってどうにかなったとして、それは現実的に継続できることなのか。
- 無理して継続してそこに幸せはあるのか?
何もかも投げ出したいと思ったら投げ出していい
私は過去にうつ病になったことがあります。
その際は『頑張ること』を必死に達成し続けたいと思い、根性で何とかなると力任せに頑張りました。
すると簡単なことすらできなくなります。
基盤を見失うと物事は不安定になり、すべての行動はちぐはぐになります。
まさに『歯車がまったく噛み合わない』状態になるのです。
正常な判断はできなくなり、生きていることが手探りになります。
手探りで生きるということはとても怖いですよ。
不安ばかりに襲われ、生きていくことが辛くなります。
あぁ何もかもを投げ出したい。
いやいや頑張らねば。頑張るんだ。
これは、すっごーく眠くて船を漕いでる状態なのに、一生懸命ブログを更新しようと起き続けている状態です。
普通に考えて全く集中できてないし、ブログの更新もできていない状態。
っていうか座って寝てるわけですよね…
それだったらきちんと寝て頭の中をすっきりさせて作業したほうが、効率も出来栄えもいいものができるはず。
でも寝るという決断をするのが怖い。
これを客観的に見ると…
つうか寝ろ!もう寝る一択しかない!
見てるこっちがツライわ。
寝ないほうが迷惑!
って状態なわけであります。
つまり何もかもを投げ出したいと思ったら投げ出したほうがいい!
投げ出す決断も大事だぞって話です。
頑張れない自分に腹を立ててるあなたに伝えたいこと
結局何がいいたいのか私もわからなくなってきたので(笑)まとめてみます。
頑張れない自分に腹を立てている方は、いま一度、理想とする自分が手の届く存在なのか客観的に見てください。
Q.理想とする自分は頑張って手の届く存在ですか?
A.はい。⇒ であれば工夫を重ね、理想の自分になれるよう頑張ってください!
A.いいえ。⇒ であれば頑張らないという決断も必要です。
大事なことは人に迷惑をかけず、自分の人生を楽しく生きることです。
それが適当に生きるという事。
がむしゃらに頑張って、生きる事ご辛くなっているようでは本末転倒です。
理想の自分に近づくために日々工夫をすることは大事ですが無理しすぎてはいけません。
工夫を重ね理想の自分になれたらラッキー!くらいの気持ちで日々を過ごしてみましょう。
やべっ!なんか…毎日がたのしぃ~♥と思えるはずですよ!
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