年をとったせいでしょうか。
最近の私は他人の子供を見てかわいいと思うようになりました。
若い頃は赤ちゃんがうるさい存在でしかなく、赤ちゃんを見てかわいい~とかいう人が全く信じられませんでした。
自分の子供ですらかわいいと思えないかもしれない…という気持ちから子供を産まない選択をしました。
子供を産まなかった事自体は全く後悔していませんが、社会に貢献できなかった気持ちは持っています。
私は子供を育てた事がないのでわかりませんが、育児をするお母さんは赤ちゃんが泣くと冷たい目で見られるそうです。
そんな話を聞くと私悲しい気持ちになります。
育児を経験したことない人も、育児を経験したが今は卒業した人も、子供がいるけど育児に参加していないお父さんも。
現時点で育児中じゃない人が、育児中のお母さんへしてあげれることってなにかな~?
って考えたことを今回は書いてみようと思います。
この世のお母さんはすべて神!
育児中に限らず「お母さん」とはリスペクトするべき神のような存在です。
軽く思いついたことをあげると
・恐ろしい痛みに耐え、自分のカラダを傷つけ、命をかけて子を産み落とす
・妊娠・出産に自分の栄養分を多大に使う(実際に身を削る)
・カラダが全然回復してない状態からの育児スタート
・昼夜問わず泣き続ける赤ちゃんと家族の世話
・外出先で赤ちゃんが泣いた時のまわりの冷たい視線に耐える心
・仕事・家族の世話・家事など奴隷のように働いていること
・自分のことは後回しが当然
すごいでしょ。
普通の会社でこんな感じの事をしてたらパワハラですよ。
痛めつけられ、神経をすり減らし、働く。
お母さんというだけで、これらの苦行がなぜか当たり前になるんですよね。
本当に奴隷のような生活を強いられています。
実際は自分の子を育てるということは、奴隷生活を帳消しにしてしまうほど幸せなのかもしれません。
でも私にはできない。
痛い思いも、自分のカラダを傷つけてまで何かをすることも、奴隷のような生活も、どれを取っても私には到底できない。
同じ女性、同じ人間なのに本当に頭が下がります。
ですから私は「お母さん」というだけで本当に尊敬します。
お母さんはまさに神!なのです。
そう思いませんか?
外出先で赤ちゃんが泣くかもしれない緊張感
聞いた話ですが、世のお母さんは外出先で赤ちゃんが泣くかもしれない緊張感をいつも持っているそうです。
外食はもちろんのこと、買い物もままならないほどの赤ちゃんもいるそうです。
実際に買い物の際にギャン泣きしている赤ちゃんの声を「うるさいな」とうちの旦那なんかは感じています。
私のように一度も育児をしたことない人や子供がいない男性などは赤ちゃんの泣き声に慣れていません。
あまりにずっとギャン泣き状態だと、私も正直うるさいなと感じることもあります。
もしかして育児を経験したことある、子育てを卒業したお母さんも、うるさいと感じるかもしれません。
というか自分の子供の泣き声ですらうるさいと感じているおかあさんもいらっしゃるかもしれません。
そりゃ当然。だってうるさいくらい泣くのが赤ちゃんなのです。
赤ちゃんは泣くことでしか自分の要求を訴えるすべがないのです。
空腹なのに気づいてもらえるまで待ってたら?死ぬかもしれないじゃないですか。
今まさにベビーカーにあの小ちゃなか弱い指が挟まってたら?怪我しちゃうじゃないですか。
だから大声で泣く。
自分の生死に関わることですから、ギャン泣きしますよ。
つまり泣くこととは本能なのです。
人のお腹がグゥ~っと鳴るのと同じなのです。
性格悪い上司がずっと嫌味を言ってるのと同じなのです。
玄関の気配を感じて犬が吠えるのと同じなのです。
朝が来たら鳥が鳴くのと同じなのです。
止めれます?
止めれない。
もううるさいって思っても我慢するしかない。
時間がすぎるのを待つしかないのです。
しかしながら、外出先で赤ちゃんが泣くかもしれない緊張感を、世のお母さん方が感じてるということは、周りの冷たい視線が痛いからでしょう。
もしかして育児をしていない他人がお母さんへしてあげれることって、赤ちゃんが泣いても温かい視線をおくる事なんじゃないかって考えました。
育児中じゃない他人がお母さんへできること
お母さんがしなければならないことはとても多いです。
でもお母さんの負担を軽くするためになにかできることはないかと考えたところで、見ず知らずの他人の私にできることはありません。
赤ちゃんは知らない人である私には懐いてくれないでしょうから、泣き止ませることはできませんし、面倒を見ることもできません。
お母さんの代わりに仕事へ行くこともできません。
家族の世話をすることもできません。
結局育児中のお母さんへ他人ができることってたった一つしかありません。
育児中のお母さんへ他人ができる唯一の事。
それは、外出先で赤ちゃんがギャン泣きしても、付かず離れずの距離から、目が合った時に「大変ですね」「赤ちゃんだからしょうがないですね」というアイコンタクトを送ることくらいです。
なぜ付かず離れずかといいますと、いい気になって赤ちゃんの側に行き、あやして、赤ちゃんのギャン泣きに油を注ぐような自体はなんとしても避けたいからです。
いやいや、私は保育園の園長歴40年だから近づくわよ!っていう方は、どうぞどうぞお母さんに話しかけてあげてください。
見ず知らずの育児をしたこともない他人が、お母さんへできることとは、赤ちゃんが泣いてもお母さんが緊張するような空気を作らないことくらいです。
最後に|みんなでお母さんへしてあげれる事を考えてみよう!
私が何をいいたいかと言うと、育児中のお母さんは本当に大変なんだぞ!
自分に置き換えたら同じ事をできるのか?
だからこそ育児中のお母さんへ自分は何ができるのかをみんな考えてみようよ!
という事をいいたいのです。
育児中のお母さんへしてあげれることは、各コミュニティで役割、立場があると思います。
会社というコミュニティでは、子供が急に熱を出して、早退しなければならなくなった育児中のお母さんが、負い目を感じることなく帰れる環境づくりが必要でしょう。
家庭というコミュニティでは、夕飯後の片付け、洗濯、お風呂の準備など、お母さんしかできない料理や育児以外の家事を分担する環境づくりが必要でしょう。
赤の他人ができることは、赤ちゃんが泣いてもお母さんが緊張しない環境づくりが必要でしょう。
子供は宝です。
その宝を産んで育ててくれているお母さんへ、育児をしていない人間ができることを、愛をもってみんなが考えてみましょう。
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