震災から8年|青森市に住む私が2019年3月11日に強く思ったこと

2019年3月11日 あの東日本大震災から、今日で8年です。

私は青森市に住んでいて、8年前の大地震の時、震度4の地震が2度、その後停電があったくらいの被害でした。

つまり青森市は被害が大きかった東北の中では、被害が少ない場所でした。

震災当時は、被害の小さい地域に住む私が、悲しみを嘆くこと自体、被害が大きかった地域の方に申し訳ない気持ちがありました。

震災から8年経過し、震災関連の番組を見て、心の中で悲しんでいるだけじゃだめなんじゃない?と思いました。

ということで、今回の記事は「東日本大震災から8年、青森市に住む私が強く思ったこと」について書きたいと思います。

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震災の被害が少ない青森市の私にも悲しみは存在する

震災から8年経った、2019年3月11日に私が強く思ったこと。

それは、絶対にこの悲しみを繰り返さないためにも、震災の記憶を語り継がなければならない。

ということです。

しかしながら、震災当時、被害が少なかった青森市にいた私は、立っていられない程の強い揺れを感じたわけではありません。

あの大津波を経験したわけでもありません。

家が壊れたわけでもありません。

でも、生まれて初めて真っ暗な夜を経験し、連絡が取れない友人の生存を願い、多くの罪のない突然命を落とした方たちの事を想いとにかく泣きました。

風評被害に苦しむ農家の方々の話や、未来に希望を持てずに自殺してしまった方の話、漁港の電柱に大きなぬいぐるみが供えられている話。

たくさんの悲しい話を聞いたり、読んだりするたびに、自分の無力さと、この世の無常を感じました。

今までの私の考えは、実際に被害を受けたわけでもない私が、被害の程を語ることは、おこがましい気がして、このブログでは書いてきませんでした。

でも、私が感じた悲しみは実際に存在し、今も続いています。

そしてこの悲しみは私が死ぬまで続くことでしょう。

じゃぁ、私は死ぬまで、震災によって感じた、私なりの悲しみを伝え、同じ悲しみを繰り返さないよう、私の悲しみや想いを書こうと強く思ったのです。

私が2019年3月11日に伝えたいこと

今もボロボロ泣いている私が、2019年3月11日に伝えたいこと。それは

毎日人に感謝して笑って過ごそう!

です。

私の母方のおばあちゃんの血はとても長生きの家系です。

その血が流れている私が、日々運動し、食事管理までしているのですから、100歳までマジで生きるんじゃないかと、実は恐怖を感じています。

でも長生きの家系で健康的な生活をしていたとしても、明日事故に遭い、命を落とすかもしれません。

死の間際に「あぁ今日面倒くさくて旦那におはようって言えなかった」とかいう後悔したくないんです。私。

きっと相手もずっと後悔するでしょう。

その後悔をしないためにも、毎日人に感謝して笑って過ごすことはとても大切です。

当たり前のことなんてこの世に無いと思うと、感謝が湧いてきませんか?

最近、口答えばかりするようになった息子も、言葉を発してるわ~って事に感謝してみたら、可愛く思えるかもしれません。

何度言っても、食べた食器を下げない旦那も、ダラダラしてるからまん丸くなっきてるよ~って笑ってみると、自ら動くかもしれません。

最後に

今後も毎年3月11日に、私なりに伝えていきたいことを書いていこうと思います。

2019年は、毎日人に感謝して笑って過ごそう!

という震災とは関係ないような内容になってしまいました。

また1年かけて、震災を後世に伝える事について考えたいと思います。

そして今日は鎮魂の祈りを捧げます。

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