ちょうど1年前、私の愛犬が命にかかわる重い病気を患いました。
病気が発覚し、内服による治療をしましたが、半年後、虹の橋を渡ってしまいました。
亡くなった愛犬は「肝臓病」でしたが、病名があったわけではなく肝臓の数値が悪いという現実だけでした。
病気の発見が遅かったことや、病名がわからないのに進む治療。
私が愛犬のためにする選択。
何が正しいかわからないけど、同じような思いをしている飼い主さんに、何か役立つ事があるかもしれないと闘病の様子をブログに書いたりもしました。
そのせいか、犬の肝臓病や黄疸に関して検索し、私が書いた闘病記事がHITし、このブログにたどり着いたという方もいらっしゃるようです。
先日は病気の愛犬になにかしてあげたいと、コメントを頂いたりしました。
そのコメントからは飼い主さんの深い愛情が伝わってきました。
愛犬の病気が発覚し、愛犬の事を想い苦しい決断をしたこと。
その決断に対し迷う気持ち。
コメントには愛犬を大事に思うからこその葛藤が書かれていました。
ということで今回は、愛犬が重い病気になったとき、治療しない選択をするのはこの子のために正しいの?
と迷う飼い主さんへ、愛犬を看取った私の考えをお話したいと思います。
この記事の内容が正しいのか間違っているのかは誰にもわかりません。
私と同じ選択をする飼い主さんも、私と違う選択をする飼い主さんも、結局は愛犬の事を想っての決断ですので肯定も否定もしません。
そんな判断もあるんだなという気持ちで読んでいただければ幸いです。
愛犬の病気発覚は絶望的に辛い現実
愛犬の病気が発覚し、その病気が命にかかわる病気だと知ったとき、私の目の前は真っ暗になりました。
言葉に表すことができないほど絶望的に辛い現実です。
一瞬で子犬のときからの思い出が、ぐあーっと頭を駆け巡ります。
辛くて悲しい…先生の話も全く理解できない…
わかっていることは、残された時間が少ないという絶望的に辛い現実です。
犬の寿命が短く、飼い主が死ぬまで面倒をみる。
そもそもこの事実は普遍です。
ですが、つい愛犬と過ごす楽しい毎日が、そんな当たり前を忘れさせます。
ですから愛犬が命にかかわる病気だ、という絶望的に辛い現実は簡単に受け入れられることではなく、気持ちの整理には時間がかかります。
老犬であれば、愛犬が元気な時でも、一緒に過ごせる時間がどれくらいだろう…と考えたりもします。
今回コメントをいただいたワンちゃんは1歳10か月、健康診断での病気発覚でした。
飼い主さんの気持ちを考えると、慰めの言葉も見つからないほどです。
辛い毎日をお過ごしのことと思います。
愛犬の病気は、大げさでなく想像を絶する辛い現実です。
コメントを読んで私も号泣してしまいました。
1歳10か月なんて、子犬ですよ…ほんとにかわいい盛りですよね。
今回コメントをいただいた方は、愛犬のストレスを考え、ご夫婦で延命治療しないと決断されました。
ここに至るまでの決断も簡単では無かったと思います。
でも、治療をすれば奇跡が起きるかもしれない…でもそれは愛犬に辛いことを強いるだけだ…と葛藤されているのです。
葛藤しますよね。
迷いますよね。
この小さなカラダにメスを入れることは、飼い主のエゴかもしれない…
でも少しでも長くこの子と一緒にいたい。離れられない。
思いを重ねるだけで涙が出てきてしまいます。
その後どうされてますかね。
奇跡が起きることを遠くから祈っております。
手術に必要な全身麻酔は高齢犬ほどリスクが高い
手術に必要な全身麻酔は高齢犬ほどリスクが高いことは知っていますか?
ですから動物病院の先生も手術が必要になったとき、全身麻酔のリスクについて説明します。
我が家では、延命治療はしないと決めています。
つまり我が家では、治療法として残された可能性が手術しかないとなったときには、治療しない選択をします。
もちろん残された愛犬の余生が穏やかに過ぎるように、やれることはしますが、積極的な治療はしません。
理由としては2つ
-
- 高齢犬ほど全身麻酔のリスクが高い
- 高齢犬に手術してまでの延命治療はかわいそう
私の愛犬は病気が発覚したとき13歳の高齢犬でした。
人間の年齢に換算すると70歳くらいです。
人間で70歳だとまだまだ手術をするような年齢でしょうが、犬の老化スピードは人とは違い、13歳から14歳になる時には5歳も年をとった事になります。
しかしながら実際に流れる時間は、人も犬も同じなのです。
寿命は誰にもわかりません。
我が家の場合は、病気が発覚してから半年後に虹の橋を渡りました。
つまり、残された時間は半年でした。
手術をしてしまうと、入院しなければいけません。
残された時間は半年しかないのに、そのうちの2週動を物病院のケージの中でひとりぼっちにさせるのはいたたまれない気持ちになります。
それでも以前、15歳の実家の愛犬が歯周病が原因で口から大量に出血した際には「このまま放置すると出血多量で数時間後には亡くなります」と言われたので、手術しました。
このときの選択は「放置すると確実に死ぬ」か「全身麻酔は目覚めないリスクがあるが、目覚めたら連れて帰ることができる」です。
この子の手術は成功し無事に目覚め、その手術からちょうど1年生きてくれました。
ですから私の選択は間違っていなかったと思います。
愛犬が亡くなったとき後悔を少なくするには
書いているうちに何を伝えたいのかがよくわからなくなってきました(笑)
私が伝えたいことは「愛犬が亡くなったとき後悔が少ない選択をすべき」ということです。
言葉では簡単ですが、後悔が少ない選択は結果論でしかないので、飼い主が葛藤するのも重々承知です。
私は愛犬を2頭看取りましたが、不思議と後悔はありませんでした。
その理由として考えられることは
- 2頭とも飼い主の腕の中で亡くなった
- 子犬から介護まで最後まで面倒がみれた
- ムリな治療はせず、自然に逝かせてやれた
- 愛犬との残された時間に後悔しないほどの愛情を注げた
だったからだと思うのです。
この4つの理由について、私の体験から感じた事をお話させてください。
2頭とも飼い主の腕の中で亡くなった
1頭目のワンコはメスのMダックスで、私がどうしても欲しくて父がブリーダーさんから譲ってもらった子でした。
とても健康な子で、若い頃は病院にかかったことが一度もないほどでした。
その子も年には勝てず、14歳ころからは病院のお世話になりましたが、特に積極的な治療はせずに、最期はご飯どころか水も飲めない寝たきり状態になりました。
目をつぶることもできず、色んな箇所から膿が出たりするもので、においもしてきて、まさに生きながら腐っていく愛犬。
そのかわいそうな様子をみた母は耐えられず、安楽死させてやりたいと言うほどでした。
その子は今夜が峠と先生に言われた日から2週間私達のもとにいてくれました。
そして最期は母の腕の中で逝けました。
2頭目は旦那の腕の中で逝けました。2頭目の最期は次の記事に詳しく書いています。
やはり、愛犬が飼い主の腕の中で逝くというのは後悔を少なくしてくれます。
ただ、最期を腕の中でというのはタイミングもあり、選択できるものではありません。
もう、これに関しては「愛犬が自分にくれた最後のプレゼント」と感謝するしかありません。
子犬から介護まで面倒がみれた
犬の一生を面倒みるというのは飼い主の義務です。
病気だから飼い犬を捨てるなんて言うのはもってのほか、そんな人にはバチが当たっちゃいますから覚悟してくれってなもんですが、介護までできる飼い主は幸せなのかなと思います。
コメントをくれた方のように、愛犬が若いうちに病気が発覚するなんてこともありえるのです。
そう考えると、子犬から介護まで面倒を見れたことは幸せです。
これに関しても選択できることではありませんので、子犬から介護まで面倒を見れた飼い主さんは、その幸せを自分に与えてくれた愛犬に感謝すべきでしょう。
1頭目の最期のとき、母が「安楽死させてやりたい」と思ったけれど、看取れて良かったと言っていました。
愛犬が弱っていく様を、何もできずただ見ているだけというのは、安楽死を考えてしまうほど辛いことでした。
でも、愛犬が腕の中で逝ったこと=看取れたことは、母の気持ちから後悔を少なくしてくれました。
ちなみに我が家には病気が原因で捨てられたチワワがいます。
簡単な手術で治る病気でも捨てる人がいるのは悲しい事です。
ムリな治療はせず、自然に逝かせてやれた
2頭目の肝臓病が発覚したとき、とりあえず検査をするために入院させました。
検査結果が出て、肝臓がとても悪い状況だとわかったとき、先生から特に手術の話はありませんでした。
たしか、内服で経過を観察するしかできることがない。
手術はできなくはないが、大学病院ですることになるし、手術をしたからと言って改善されるわけではない。
と言う感じの事を言われたような気がします。
私の父は肝硬変で亡くなりました。
人間だって肝臓の治療は難しく、臓器移植するほどの病気です。
人間ですら肝硬変だからといってみな手術をするわけではないと言うのに、あの小さいカラダに何をするというのでしょうか。
ムリは治療はせず、自然に逝かせてあげることも、飼い主の後悔が少なくなる選択ではないかと思います。
愛犬との残された時間に後悔しないほどの愛情を注げた
愛犬に残された時間が少ないとわかった時は、この世の終わり…と思うほどの衝撃に襲われます。
でも、残された時間はアディショナルタイムみたいなもんです。
どれくらいかはわからないが、近いうちに終わりが来るのです。
今までは当たり前だと思っていた愛犬との時間がかけがいのないものになります。
まぁ私も旦那もそれはもう親バカを発揮しました。
お水を飲ませるのも、ご飯を食べさせるのも、要求されればすべて応えました。
お犬様です。今思い出しても笑えるほど私達は翻弄され、甘やかしました。
でもその時間が後悔を少なくしてくれたと思います。
愛情は注げるだけ注げた、やり切ったと思えました。
最後に
我が家では、愛犬が命に関わる病気だとわかったとしても、延命治療をしない選択をし、その決断が正しいと思っています。
ただ、その考えは我が家の決断であり「飼い主さんが愛犬のためにする決断」はすべて正しいのだろうと思います。
母が安楽死を考えたように、愛犬のために安楽死を決断する飼い主さんもいるかもしれません。
それが愛犬の事を考えた最善の方法だと飼い主さんが決断したのであれば、間違ってはいないはずです。
今回の記事は、私の愛犬を2頭看取った経験から、我が家の選択とその決断によって実際に感じたことを書きました。
まさに今、愛犬のことで迷い、悩んでいる飼い主さんがいれば、参考にしていただければと思います。
ただ…飼い主さんがどのような決断をしたとしても、愛犬が亡くなったとき、後悔が無い。ということは無いと思います。
愛犬が亡くなったとき後悔が少なくなる方法として、どの飼い主さんもできることがあるとすれば「これ以上ない愛情を注ぎ残りの時間を過ごすこと」しかないかなと。
ここで手術を重ね、一緒にいる時間が少なく、病院のケージで亡くなった。というのはやはり後悔が大きいのでは、と思うのです。
「愛犬のために愛情を注ぐ」のは実は愛犬のためではなく、飼い主自身のためです。
愛犬に愛情を注ぐことが、飼い主自身が救われる唯一の方法なんだと私は考えます。
コメント
こんにちは。以前コメントさせて頂いた者です。
ブログの中で1歳10ヶ月の健康診断で肝臓病と診断された方が他にもいらっしゃるんだと思い、勝手に自分宛に書いて頂いたような気持ちでブログを拝読致しました。
昨年10月25日、愛犬はご飯も食べず嘔吐し腹水も溜まり痩せ細ってしまっており、病院での診察で余命宣告をされてしまいました。その日、ステロイドを処方されて嘘のように食欲が回復し腹水が減り元気な時の愛犬に戻った様な毎日でした。
ですが、アポロちゃんと同じく治った訳ではなくエコーで肝臓を診てもらうと正常の5分の1の大きさになって萎縮しておりました。
年末からまた腹水が溜まりはじめ、先日食べ物に偏りが出てきたので悪い予感がし、利尿剤で腹水を出すことになりました。ですが、ここ数日、ご飯も食べなくなり貧血を起こし嘔吐、下痢が続いております。本当に覚悟が必要なのかと感じております。
愛犬は主人の父が他界したのをきっかけに引っ越した際、我が家に来てくれた子でした。子供がいない私たちにとっては本当の子供のように可愛く愛おしい存在にすぐなりました。それからやく1年後に妊娠したことがわかり妊娠期も愛犬と一緒に過ごし4人(正確には3人と1匹ですが)で楽しい毎日を過ごせるものと思っておりました。出産まで3ヶ月頃に愛犬の病気が見つかって、本当に悪夢を見ているようでした。その時はまだ治る病気だと思っていたのですが….
延命治療はしないと決めて投薬だけで過ごしたこの3ヶ月は愛犬にとってどんな時間だったのかはわかりませんが、笑顔で近寄ってくる愛犬と我が子と過ごすことが出来て幸せを感じると共に命の尊さを改めて感じております。
最後までしっかり見届けてやれたらと思っております。
拙い長文失礼致しました。読んで頂きありがとうございました。
連続ですみません。
以前コメントさせて頂いた田中(natotona)です。
コメントが記載されていたり、返信を下さっていたことを今初めて知ってしまいました:(;゙゚’ω゚’):すみません!
心温まるお言葉ありがとうございました。
先日コメントさせて頂いてから何も食べなくなって3日目に、どうしてもイヴ(愛犬)を親に預けなくてはならなくて『帰ってくるまでは頑張ってね』と言ってお願いしたら、なんとその後からかぼちゃやさつまいものスープから始まって固形物まで食べるようになったと連絡があって今も頑張って生きています(^^)
何か通ずるものがあるのかなーなんて都合よく考えながらも、一緒に過ごせる時間が本当に幸せでなりません。chismさんがおっしゃるように最後までうざがられるほど、愛情たっぷり注きまくろうと思います!
chismさんのお言葉に本当に励まされました。心より感謝致します。
natotona さんへ
イヴちゃんがご飯を食べれるようになったようで、私も嬉しいです。
イヴちゃんとこれから過ごす時間が、田中さん一家にとって良い時間になるよう祈ってます。